World Tour 1981

必殺包丁人としての
修行が始まった

 その25…人を喰った話

私が訪れたのは国立美術館の裏にある「京」という高級和食レストランである。電話でアポを取るとマネージャーがすぐに会ってくれた。すんなり採用される。この店の従業員はほとんどが正社員なのだが、営業に必要な人手の若干名分を常に旅行者のアルバイトに頼っているのであった。ちょうど前任者が仕事を辞めたところで、タイミングもよかった。3食宿付き日当たり良し広場近し電気瓦斯上下水道完備当方未亡人である。バイト料はけっして高くはないが、アムスはなかなか面白い所なので数ヵ月やれば旅費も稼げる。てことで、決定。

私は高校生の頃から仕事をし始めていたが、録音、コンサートのP.A.(昨今はS.R.という)などの音楽、技術関係の仕事であって、それ以外のアルバイトの経験はほとんどなかった。例外は型友禅の色差しと、港での輸出車の船積みだな。また高貴な生まれであるからにして、料理なぞも旅に出るまで自分でやったことが無かった。そういうことは全て、じいや、ばあや、執事、メイド、奴隷達などにまかせていたわけだな。ん、そうだったかな。ま、とにかくインドで独り暮らしをするようになって、自分の食う飯ぐらいは自分で造るのはあたりまえということで、自炊などするようになったんだ。たいした事をしてたわけじゃないが、餃子なんかも皮からちゃんと作ってたぜ。料理も結局は「造る」作業であるからして、やってみればおもしろいことがわかったのだよ。

当然だが、最初は皿洗いである。しかし、なんと3日で前菜とデザートの係に昇格。俺様の美的センスが評価されたに違いない。前菜はほうれん草のおひたしとか、しめさばを造る。ちゃんとダシからつくるのよ。デザートはその時々で冷蔵庫にある果物やアイスクリームなどを適当に自分で選んで、格好良く飾り切りしたりの工夫をして盛り付けるわけね。基本的なツボは教えてくれるけど、後は結構好きにやらせてくれるんだ。他の担当の料理の下ごしらえ作業なんかもばんばんやらせてくれるのでおもしろかったりする。新しいことを学ぶのは実に興味深く、愉快なことだ。

料理屋の善し悪しは賄い飯でわかるという。賄い飯とは調理場の者の食べるゴハンのことだ。その点で、この店はかなり良い店であったよ。この店ではメニューはパターン化されているから、大体は決まったメニューの料理を作ることになるわけだな。常連さんに対しては注文料理も受け付けることもあるんだが、板さんとしては、やはり食うことと造ることが好きで始めた仕事なわけだから、いろいろ思うところがあるんだな。その結果は賄い飯に反映されて、毎回毎回工夫を凝らした素晴しい料理がいただけるという寸法だ。毎日、チーフの板さんは、今日は何を食おうかなあってにやにや考えてるわけよ。全く素晴しい職場であったな。賄い飯は、お客さんに出してる料理より旨かったりしたぞ。

賄いといえば、どこにも必ずある中華料理の店が気になるな。中国人の経営する中華料理屋では、店の中のテーブルの内一つは、必ずといって良いほどだがその店の従業員専用の場所になってたりする。私の知る限り、スリーナインの確率でそういうことになってる。ホンコンはもちろん、アムス、パリ、ニューヨーク、シスコ、ハワイ、参宮橋でも必ず見かけた光景だな。書きかけの帳簿とか読みかけの新聞とかが拡げてあったりして、その横で赤ん坊が泣いてたりするのね。で、従業員の食事も当然のようにそこで食されたりする。それがメニューに載って無いやつで、また旨そうなんだなあ。それ頂戴って云いたいんだけど、残念ながら、たいてい既にメニューに載ってる料理を注文しちゃった後なんだよな。

銀座は歌舞伎座の近くにあるインド料理屋の老舗、ナイルレストランのご主人から聞いた話なんだけど、やっぱりメニューに載せて無い賄い飯を食ってたら、それ欲しいって云うお客さんがいるんだって。これ、賄いなんだからダメよ、と断わると、じゃあ店が終わってから食いに来ると言ってほんとに来ちゃったもんだから、しょうがない、作ってあげたのよだって。いい人だよなあ。

ナイルレストランはムルギランチが安くてうまいぞ。ご主人は最近見かけないけど、いつものぎょろ目おやじはおしゃべり好きで面白いインド人だ。ついでにいうと、日テレの近くにあるインド料理屋アジャンタの息子ニアナはドラマーだったりする。プロ・ドラマーだな。俺はシンセサイザーの「プログラマー・猿」だったりするぞ。コンピューターの打ち込みの速さはウキキッと凄いが、てんでデタラメだったりして。ベースのマイク・ダンはニューギニアだかニュージーランド辺りの出身だが、祖父さんの代まで首狩り族でホントに人を喰ってたそうだ。昔、この二人とバンドをやったことがあったんで思い出したよ。私はすぐバンドを首になったから、それでしばらく食えなくなったりはしたけれど食われずには済んだね。

なんの話だ?そう、一月ほど前菜とデザートを担当した後、さらに私は鍋の係に昇進した。といっても、実は肉と野菜を切って大皿に盛り付けるだけなんですけどね。でも、人参はちゃんと桜の花びらの形に切るんだぜ。肉もでっかい塊から切り分けるし、大根なんか桂剥きだもんねって、これ、自慢。
いやあ、旅は勉強になるねえ。楽しいねえ。

つづく


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