World Tour 1981

カリギュラって
映画も観たぞ。
もち、ノーカットぢゃ。ひひ。

 その23…アテナイの淫らな生活

船で働きながら移動するという虫のいい考えをあっさりと否定された私は、失意のズンドコで日がな一日中ゲーセンでぶらぶらとし、カモを漁るポン引きの如き生活を続けた、わけではない。ま、ゲーセンに入り浸たってたことは事実だが、ギリシャのゲーセンは、なんだろな、日本でいうところの将棋喫茶か囲碁喫茶(そんなんあるのか?)って感じで、よーするに爺ちゃん達とトルココーヒーみたいなギリシャコーヒーを飲みながらバックギャモンっていうゲームをするわけよ。真っ昼間っからねえ。爺しかいないんだがね。ルールは宿で同室になった、アメちゃんの旅行者に教わった。

遊んでばかりいたわけぢゃないぜ。図書館へ行って勉強したり、アクロポリスで古代のギリシャに想いをはせたり、アテネ大学の学食で栄養価のチェックをしたりしてたのさ。映画「十戒」だか「ベン・ハー」だかでチャールトン・ヘストンが戦車の競争してた闘技場は、思ってたより小ちゃかったな。持ってたスイス・アーミー・ナイフ(十徳ナイフの一番でっかいやつ!)の機能の中で、唯一いちども使った事のなかった「ウロコ落とし」を試すために魚料理もしたぜ。ありゃ、必要ないな。鱗なんか包丁の背でとれるもんね。それから、歴史の勉強と称して、カリギュラの伝記映画も観たよ。ノーカットだから、いやらしかったな。うふふ。

トルコのところで云い忘れたが、もちろんトルコ風呂も試したぞ。充分スケベだからな、俺も。でも、日本でうわさに聞く(強調しておくぞ!)グラマーなねえちゃんの代わりに、おっそろしくグラマーな筋肉もりもりの兄ちゃんがマッサージしてくれるわけよ。アヘアへどころぢゃなくって、正確にはボキボキもしくはバキバキだったね。

宿のフロントのねーちゃんはとても美形で可愛いかったな。「カリメロ!」、なんて漫画みたいなことを口走っていて、言葉はあまり通じなかったがね。そう言えば、ギリシャ語ではレストランのことを、タベルナっていうんだよな。いや、なんでもないよ。

初めての国に行って、まず覚える言葉は、基本的な挨拶とありがとう、ごめんなさい、後は数の勘定のしかたと、いくら?、もっとまけろ!、てなとこですかね。余力があれば、「○○語(その国の言葉)はしゃべれませーん」てのを余興に言えるようにするね。なるべく流暢に言えるように練習しておくことが肝心だぞ。ん?そういえば、インドに半年もいた割には、インド人が「ありがとう」を意味するヒンドゥー語を口にしたのを聞いた覚えがないな。もっとも、日本でも電車や人ごみの中で身体がぶつかったようなときに「失礼」とかって言う人、少ないけどね。

そういやあ、初めての地で最初に声をかけてくる現地人は、たいていルンペンかアル中かプッシャーかポン引きなんだな、私の場合。なんでだろ。よっぽど、人相が悪いのかしら。鏡を見て解りました。やっぱり悪かったです。(←トルコで撮った写真参照)
で床屋にいって髭を剃った。ギリシャでだったかトルコでだったか忘れたけど。髪は普通にカットするんだけど、顔の産毛の剃り方が変わってる。日本だと、かみそりでシャッシャッてやって剃るよな。こっちでは木綿の糸を2本撚って肌に当てて産毛を巻き込み、ピッピッと抜くんだ。いやあ、痛いね、これは。長い旅で産毛どころか眉毛も一本に繋がってるような状態だったから、ほんとに涙がこぼれたよ。

さて、今度こそは有力な情報を掴んだぞ。オランダの日本料理屋がアルバイトを雇っているってんだ。そこで働いてたという奴から聞いたんだから、間違いはない。実はもう、これ以上、旅を続ける資金も底をつこうとしている。なにしろ、インドにいる間に親父は航空会社を定年退職してしまったんだ。姉はまだスッチーだったが、兄弟では只乗りができない仕組なのよ。インドからはるばるここまでくりゃあ、ヨーロッパなんて目と鼻の先だあ。って、またバスだな。金ないからな。何日かかるんだろ。

私はこの歴史的な「アテナイの地」におけるアテのナイ生活に見切りをつけ、ヨーロッパへと向かった。

つづく


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