World Tour 1981

イラン革命防衛隊は
新たなる刺客を
送り込んできた

 その20…イランの陰謀

イラン人との会話で、私はまた状況認識不足な発言をした。君たちアラブ人は、と言ってしまったのね。ガイジンからみて、日本人も中国人も一緒なのと同じで、私にはイラン人もイラク人もひっくるめてアラブに思ってしまっていたわけだが、我々イラン人はアラブにあらず、ときっぱり云われてしまった。ごめんなさいです。

かのイラン人は、よっぽどアラブがお嫌いと見えて、おまえはなぜアラブの国になんか行きたがるのだ?と聞く。アラブはどこも同じでねえか、ともおっしゃる。まあ、私もここんとこ、あんまりいい思いはしてないのだけど、夕方時に砂ぼこりの遠くに霞む塔の上から歪んだ大音量で流れてくるコーランの調べには、源初の記憶を揺さぶられるような気持ちがするのだよ。なぜか、懐かしい想いで一杯になってしまうのだ。多分この感覚が私をシリアに呼んできたのだろう(インドといい、すぐお呼ばれしちゃう奴だ)。

お呼ばれを別にすれば、常につきまとう、所持金の減り具合への不安が私の行動を左右していた。実はC.I.A工作員に違いない、考古学関係アメリカ人旅行者の情報により、ボンビースパイ野郎はアラブを超えてイスラエルへと潜入し、キブツで働きながら、ユダヤ教と回教の平和的融合を模索する計画であったのだ。だが、イラン人は、仕事を探すならアラブに行ってもだめだ、ギリシャへ行け、と私を説得した。

私の旅はその都度思いつきで次の訪問地を決定するという、無思考かつ無指向の放浪状態であるから、次の寄港地については、全くお気楽さんであった。なにしろ私の持っている唯一の地図は、俺がバスの中で記憶に基づいてノートの切れはしに描きなぐったシロモノで、インパキアフガン、イランイラクトルコシリアなどなどの国々がくっつき合って風船状になったものなんである。要するに接している国境を表示するだけの、位相学的にのみ正しい地図なのだ。私は天の邪鬼で自分勝手な人間であるからして、こういった気侭な一人旅以外は、よう出来んのですよ。

もはやインシャ、アッラー状態になった私は、イラン革命防衛隊の工作員にまんまと誘導されて、イスラエルに向かうことなく、トルコへ戻ったのであった。かくしてイスラエルと周辺中東諸国の緊張緩和実現の可能性は、また一歩遠のいてしまったわけである。

つづく


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