World Tour 1981

冒険野郎は
スランプ状態

 その19…シリア・アレッポ

イスラエルから陸路やって来たアメリカ人旅行者と知り合った。彼は考古学が好きで、アルバイトにシナイ半島で発掘の手伝いをしていたそうだ。あの辺りは新訳、旧訳聖書の舞台であり、その手の遺跡がごろごろしている。石器時代の矢尻やナイフなどはいくらでも出土するので捨てちまうんだと云って見せてくれた。旧約聖書には、エジプトを逃れた民を引き連れてやってきたモーゼが、約束の地を見つける為に前方に偵察隊を派遣する間、一時行軍の足を休めてそこに町ができた、というくだりがある。その町の跡とされる遺跡も最近発掘されたそうである。旧約聖書の記述は正かった、と興奮して語っていた。

その彼はイスラエルから、ウエスト・バンクをヨルダン側に抜けて来たそうだ。えっ、そんなことが可能なのか?彼は、興味を示した私にヨルダン側からイスラエルに入る方法を伝授してくれた。ウエスト・バンクとはイスラエル、ヨルダン双方が領有権を主張する、中立地帯の名称である。まず、ヨルダンの観光局を訪れてウエスト・バンクの訪問許可を貰う。ヨルダンとしては、ウエスト・バンクは自国領土なのだから問題は無いはずである。ただし、その際イスラエルのイの字も口にしてはならない。あくまでも、ウエスト・バンクの観光に訪れる名目である。ウエスト・バンクに入ったならば、後ろを振り返ることなく、できるだけ早く横断し、イスラエル側に入ってしまえばいいそうだ。イスラエルから見れば、ウエスト・バンクはイスラエル領土なわけである。言ってみると簡単な手口だ。しかも、イスラエルの入管は、後日再び旅行者がアラブ諸国へ入国できるように、別紙に入国スタンプを押してパスポートに挟む形にしてくれるそうだ。イスラエルのスタンプが押されたパスポートでは、イスラエルに敵対する国々で入国を拒否されるからである。

これはなかなかおもしろそうなので、やってみることにした。私はまずシリアに入国するために、2日かけてバスでアンカラの日本領事館に行った。ヴィザを取るためには領事館のハンコが必要だとシリアの大使館で云われたのである。領事館でシリアを訪れたい旨申しでると、係の人は、不審そうな表情を浮かべて、何かあるんでしょうか?と聞いてきた。なんでも、今月になって、シリアに行きたいと云ってきた旅行者は、私で3人目だそうだ。月に3人という数は、トルコの日本領事館にとって異常事態であるらしい。赤軍派の会合でもあると思ったのか? もう、これ以上責任が持てないのであなたで許可は打ち止めにします、と云われた。実際、しばらく後に私の話を聞いて申請に行った旅行者は、許可を貰えなかったそうだ。なんとも、日本的な話ではないか。あたしゃ、自分のやってることの責任を政府にとって貰おうとは思ってナイのだが。

まあ、無事に許可は得られた訳ではあるが、よく考えて見ると、どうやらシリアが必要としていたのは、こいつにどんなことが起こってもワシャ知らんけんね、ということを日本側に文書で確認させるための、誓約書のようなものであったらしい。とにかく、この頃の中東情勢は複雑だったわけね。通り道にあたる、ダマスカスの手前の町が2週間ほど前にロケット砲の攻撃を受けたということも新聞で読んだ。

バス会社のオフィスでシリア行を探す。アンカラからシリアのアレッポに行くバスがあった。アンカラからトルコとシリアの国境の町、バブ・エル・ハワにはさらに2日かかった。ところがここで問題があった。バスはここでお終いだというのである。冗談ではない。私のチケットは確かにアレッポ行きである。この、中東の小さな国境の町のバス会社のカウンターでは、どうも私のインド英語とトルコ語がうまく噛み合わなくて埒があかず、結局さらにアレッポまでの別のバスのチケットを買わざるを得なかった。ちっくしょーである。

不首尾に終わった口論でやさぐれてしまった私は、靴を脱いでバスの座席に胡座をかいた。日本以外の国では特に(日本でだってそうだぞ、そこのおやじ!)、公共の場で裸足になることは、無作法となる。私は一番前列の真中の補助シートに座っていたのだが、運ちゃんにギロッと睨まれて小声で、靴をはけ、と叱られてしまった。回りのトルコ人だか、シリア人だかベドウィンだかのおばちゃん達も、まあこの子はしょうがないわねえ的な苦笑を浮かべて、うんうんと頷いたね。あー、恥ずかしい。

アレッポではホテル代を倹約するために、バスの中で知り合ったイラン人と相談して、ツインの部屋をとって一緒に泊まる。私は名所旧跡の類に全く興味が無いのであるが、することもないので、アレッポ市内の昔の要塞跡を見にいった。ここは最近読んだ、ネルソン・ドミルの小説「バビロン脱出」の舞台にもなった場所である。(これは私の全くの勘違いで、バビロンは今のイラクでありました。)物語の中では、テロリストにハイジャックされた飛行機が、このアレッポの遺跡に無理やり不時着させられる。私はヒコー少年であるので、飛行機の出てくる小説には目がないのだ。おまけに、冒険ものとかサバイバルもの、テロリスト関係も好きで(テロリストが好きなわけでは、決して無い。鯖が偉そうにしてるのも嫌いだが。)、夜みる夢も、たいていは国際的な陰謀に巻き込まれ、テロリスト達と戦いながら、世界の宗教を平和理にひとつにまとめるのに一役買うという、複雑かつ壮大な内容である。先日も過去の功労(夢の中の)をねぎらわれて、国連の女事務総長であるおばはん(セイロン人だった)に招待され(A・C・クラークも来てたな)、スリランカの遺跡で長ったらしいライトショーを見せられたばかりである。

現実は少々事件性に乏しく、アレッポの遺跡も今はただ土が盛られた小さな丘であるだけだ。遺跡の近くに博物館を発見した。がらんとしていて、展示品も少なく、おもしろくない。バザールのごみ捨て場に転がっているような品々が雑然と収められているショーケースのガラスも、何年も掃除をしていないかの様に土埃をかぶっている。楽しい旅も始まって7ヵ月がたとうとしているが、どうも、トルコのバスの辺りからイケてないね。

どうも、ノリが悪くなってきたことでもあるし、特に関西方面の外国においては「マトさん、それ、イケてナイね。」と言われることも多いので、アレッポ方面に関する駄洒落は言わないでおこう。実は例のインプラント事件より、ワスレッポくなっていて、シリアの辺りのことがあまり思い出せないのだよ。ま、そんな事情など、読んでくれてる方々は知リャアせんだろうがね。

(これはきっと、業「ごう:カルマ」というやつのせいだな。インシャ、アッラー。)

つづく


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