World Tour 1981

カッパと
キュウリの
関係

 その18…トルコの胡瓜

トルコの東側半分は荒れた岩山だらけの土地が続く。聞くところによると、トルコのこの辺り一帯は、かなり野蛮で物騒なところらしい。確か、ポルトガルからヒッチハイクでインドに来た二人組み、ポルとガルに聞いたんだが、この地でトラックをヒッチして荷台に乗って走っていたら、山の上から銃で狙撃されて、同乗の友人が死んでしまったそうである。この辺りにはカッパドキアという洞穴状キリスト教会で有名な奇岩地帯もあるのだが、恐ろしいのでバスは止まらない。

結局、見えるのは道の両側にそそり立つ岩だらけの崖のみ、という状態で気が付くとバスはボスポラス海峡を超えて、イスタンブールに到着した。インドを出て、3週間近くが過ぎていた。

イスタンブールに着いたのは夜だった。通りには小銃を担いだ兵隊が立っていた。夜間外出禁止令が出ているそうである。所々で、兵隊による検問に会う。皆に別れを告げてバスを降りた。公園の前にある、安宿に泊まる。名前がどうしても思い出せないのだが、公園の真ん前にある、階下がカフェレストランになっているオテル(ホテルのこと。バスはオトビュスである。)である。そのレストランは映画「ミッドナイト・エクスプレス」で主人公が逮捕される直前にいた所で、当時はボンビー旅行者の溜まり場として有名な店であったのだった。(ホテルとカフェの名前を知ってる人がいたらメールで教えてくださいな)

イスタンブールは正に西洋と東洋の中間といった感じで、道行く人の人種も金髪碧眼の白人から中東系、インド系、黄色人種、黒人なんでもありの16色4ビット・フルカラー状態である。バザールの中は、もろアラブ状態。かたや、石造りの町並はヨーロッパと変わりは無い。

このホテルで、日本を出て以来初めての、トイレットペーパー付きトイレにお目にかかった。しかも西洋式便器で、水洗である。おお、西洋文明の香りがするではないか。ところが、どうやら下水管が細いのか、トイレットペーパーの紙質が悪いのか、折角の水洗便器にトイレットペーパーを流してはいけないらしく、その旨、はり紙に書いてある。おしりを拭いた紙は、そのまま横にある屑かごに捨てるのである。げげ、注意書きを読んだとたんに、西洋文明の香りは非文明的な香りに形を変えて漂ってきた。

インド方式ではウンコをした後、缶カラで水を汲んでその水を使い左手で洗い流す。汚いように思うかもしれないが、手は後で石鹸で納得がゆくまできれいに洗えばよろしい。人力手動ウォシュレットである。これは大変清潔な方法であり、痔にもとってもよろしい。
このトルコのトイレは最悪であった。

このトイレのせいで、私は宿を変えた。中途半端な西洋式のトイレを採用していない宿、つまり、もっと安い宿に移ったのである。

リシュケシュから出てきたインド系日本人にとって、だんだんとヨーロッパに近づくにつれて感じるのは、物価の高さ(インドが安すぎるのだが)である。徐々にではあるが、確実に物価は上がってくるので、インド的金銭感覚に慣れた身にとっては、常にけち臭い感覚に支配されることになる。これが、逆だったらうれしかったであろうに。しかし、インドから直接成田に帰って、あまりのギャップに気がおかしくなる人が多くいるという話もよく耳にした。私のように長い時間をかけてリハビリをしながら、文明国に少しずつ近づく方が精神的には良いのかも知れない。
ただし、いくら私がボンビー旅行者だといっても、インドでは大金持ちの部類である。なにしろ、イチマンエンもするナイフ(スイス・アーミーナイフ)を持っているのだからな。すぐに人の持ち物の値段を聞くインド人もビックリしていたものだよ。なにしろインドでは、飯も寺院などで只でありつけるし、その気になれば一銭も無くったって平穏無事に暮らせる国だったのである。
これからが本当のボンビー旅になりそうだ。

というわけで、必然的に以後の宿はドミトリー(大部屋)タイプになったが、居心地はとても良かった。大部屋にもそれなりの良さがあって、新たに出会うボンビー旅行者同士、武勇伝を披露し合いながら、わいわいと楽しく過ごせるというものだ。

ドミトリーで、アフリカ大陸を南端からオートバイで縦断してきた日本人に会う。ものすごいガッツであるな。治安の悪いスーダンなどでは、木刀をハンドルにくくりつけて、こわごわ走ったそうである。彼は空手の有段者であったが、襲われたら逃げるに限ると云っていた。本当に喧嘩の強い人はこのように謙虚なものだ。
サハラ砂漠を横断した際には途中でバイクが故障し、運良く通りかかったトラックに救われたが危ないところだったと云う。フランス人の二人組が、無謀にも自転車でサハラを超えようとして、当然失敗して死んだそうだ。冒険家というとイギリス人が有名だが、フランス野郎の冒険家っていうとほとんどみんなデタラメだったりする。流石にラテン系のフランス人には、パスポートを捨てちゃったカリババといい、行ききっちゃうタイプの奴が多いのね。

カリババで思い出したが、インドにいたとき、いつもの水道の蛇口から料理用の水を汲んでいたら、近所のインド人のおばあさんがやってきて、あんた、飲み水だったら、あっちの方を使いなさい、と少し離れた所の蛇口を指差した。理由を尋ねると、こっちの蛇口の水は山から引いてきたものだから水が硬くて身体に悪いという。んで、あっちの蛇口はガンガ(ガンジス河)の水だから、とっても良いそうな。それはどうもご親切に、ありがとう。でもまさか、ガンガの水をただそのままひいて来てるんぢゃないだろうね。

ヨーロッパでは水が硬いせいで、水道の水は飲用には適さず、市販のミネラルウォーターを飲むそうである。で、フランスではミネラルウオーターよりワインのほうが安かったりする。ここトルコでも事情は同じで、食費を切り詰める為に飲み物は安ワインとなる。

毎日リヤカーに胡瓜を山積みにして、キュウリ売りが来る。一本オクレというと、アイヨとフィリピンバナナ並にでかいキュウリの皮をナイフでシャッシャッと器用に剥き、そのナイフを塩の入ったビンにグサリさしてからキュウリに十文字の切り込みを入れて紙に包んで手渡してくれる。それをおやつによく食べた。大きさは似ているが、大味なアメリカのキュウリとは異なり、ジューシーで旨い。パンとサラミソーセージなどを買ってきてキュウリを噛りながらワインで流し込めば上等の食事となる。だからリョウリでもしようかなって時に、キュウリ売りが、トウリを向こうからやって来るのが窓から見えると、なんだかウリしくて、ウリウリしてきたりする。

やっと、カッパドキアから胡瓜につながったな。

つづく


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