アムスの町の移動には、トラムという路面電車が便利だ。京都の出町柳から出ている鞍馬線の電車あるいは鎌倉の江の電を、もすこしかっこよくしたような、2両編成の素敵な電車だ。鞍馬線と同じく自己申告で料金を払うんだが、最初のうちはシステムがよくわからないもんだから、勘違いして只乗りしていた。貸し自転車は前に書いた理由によりお勧めできない。また、混雑した繁華街を歩くには竹馬が必要である。オランダ人は男も女もみんな背が高く、満員電車に乗った子供みたいな状況になって、周りが見えないのであーる。しくしく。
電車で郊外の方へ行くと、豊かな田園風景に例のチューリップなんかの花畑が広がり、それは美しい。で、そんな所のそこここに、小さな可愛らしい小屋がたくさん建っていて、また小さなお花畑がついてたりする。背の高いオランダ人の郊外のセカンドハウスは、小さいのが常識らしい。
日本に韓国の方々が大勢住んでいらっしゃるが、オランダにはインドネシアの人々が多い。従って、サティという焼き鳥がオランダの郷土料理の如き顔をして存在する。が、私にとってのオランダの代表料理はブロシェといったかな、丸いパンにハムなんかを挟んだサンドウィッチだ。
店で会計係りとして働くオランダ人おばさんの誕生日に、調理場の人達が上等な牛肉の塊をプレゼントした。ところが、どうやって食べていいかわからないという。???どうやってったって、そりゃ、焼くとか煮込むとかしてに決まってるでショ。料理したことないんかいな?
旅で出会ったイギリス人に、お前んとこのオリジナル名物料理は何だと尋ねると、しばらく考えたあげく、フィッシュ&チップスという情けない答えが返ってくる。私思うに、大英帝国の植民地政策のきっかけは、あまりにも本国の料理がまずかったせいではないかと。
そういえば、トルコまでのジャーマンバスの旅の間は、マッシュドポテトばかり食っていた。ドイツ系の住民はイモ好きである。独断と偏見に満ちてあえて云えば、ドイツの代表料理は、イモとソーセージとザウアークラウトという酢漬けキャベツであるな。
2、3日休暇をとって、その辺の検証をしにドイツへ行ってみることにする。ついでに、会社を定年退職した父が母を連れてフランス旅行をするというので、パリで両親に会って、なんかうまいものでも食わせてもらおうと云う魂胆だ。
列車に乗ってドイツへと向かう。例によって、行き先になんのあても計画もない。従って、何処で降りたのかも実は覚えていない。ライン川沿いに城が見えたところで列車を降りて、車をヒッチする。旅行中のドイツ人大学生グループが、城の近くのユースホステルまで乗せてくれた。
名前も覚えていないドイツの小さな町は、木と石で造られた素敵なこげ茶色の建物と、魚の鱗模様の石畳の、古いきれいな町であった。一軒まるごとがでかい自動販売機になっているコンビニエンスストアがあった。ドイツ人の合理主義の産物か?
インドや中近東諸国ほど日本とかけ離れているわけではない国において、そう目新らしいことや事件があるわけもなく、早々にパリへ向かう。文章の長さも加速度を増して短くなるな。
両親に会う前に美容院で髪を切って身だしなみを整えることにする。もとより全体的ロンゲであったわけだが、サイドを刈り上げて前髪を短くし、後ろの長髪までのグラディエーションをつけてもらう。オリジナル・ヘアースタイルである。後ろから見ると長髪だが、前から見ると坊主頭というキテレツなものができ上がった。
待ってた信号が青になり、横断歩道を渡ろうとすると、若い男が追い抜き様に振り返り「ちぇっ、男かよ」と舌打ちされるなんてことがよくあったものだが、これでさらに彼等の残念度は増すに違いないね。全くの余談でもうしわけないが、日本の床屋でパンチとかアイパーってのがあるな。アフロなんてのも聞いたことがあるだろ。昔、俺もやってみたことがあったりする。でも横浜の古い床屋の看板に、こんなんがあったぞ。「ニグロ、あります。」どうだ、まいったか?俺はまいったな。
横浜は住吉橋の商店街に「フィリピン食堂」て店がある。実はなんのことはない、普通の定食屋だ。上目黒の山手通り沿いにあった「ブラジル食堂」と代々木八幡の「スナック・リビア」は今だに謎だ。全然関係ないな。
両親とは彼等の宿泊先で再会した。なんとオテル・ニッコー・ド・パリである。さすがに日本人だなあ、とついに私は国籍まで失った状態になっている。おまけに一泊して行けと、一部屋とってくれた。持つべきものは肉親だな。この一晩の料金でインドの安宿なら2〜3ヵ月ぐらい泊まれるんだろうなあ、なんて考えながら、ふかふかのベッドで眠りについた。
つづく